東京高等裁判所 昭和57年(行ケ)269号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本件発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 取消事由(一)について
(一) 昭和四七年二月ころ、北辰工業と被告高橋工業との間で、請求の原因四、1、(一)、(1)掲記の内容の合意が成立したこと、右合意に基づき、被告高橋工業は北辰工業の依頼により本件発明の実施品である掘削装置を製造し、北辰工業に納入したことは、当事者間に争いがない。
右争いのない事実、成立に争いのない甲第一、第三号証、第四号証の一・二、第五号証(後記措信しない部分を除く。)、第一一号証、第一四号証の一ないし四、第二三、第二六号証、第六二号証の五(後記措信しない部分を除く。)、第六四、第六五号証、第六八号証の一・二、乙第一ないし第三号証、第七、第八、第一一、第二一号証、原本の存在及び成立につき争いのない甲第六、第七号証、第八号証(後記措信しない部分を除く。)、第九号証の一・二(同上)、第一〇号証(同上)、右甲第九号証の一・二及び乙第二一号証により真正に成立したものと認められる乙第五号証を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 土木建築の基礎工事の請負を主たる業務とする北辰工業の代表取締役である原告は、従来右工事において杭打孔を掘削するために使用されていた掘削装置においては、土砂中に入れるケーシングチユーブの揺動、圧入装置とケーシングチユーブ内の土砂をつかみ取るハンマーグラブの作動及び走行装置とが一体となつていたため、走行用キヤタピラ等が邪魔になつて、たとえ基体の側面を壁面に接触させたとしても、ケーシングチユーブ挟持用のチヤツクそのものは壁面からかなり離れ、また、チヤツクを二壁面で形成された隅角部に配置する場合も、ハンマーグラブでつかみ取られた土砂を先方に放出する以外に方法がない関係上、チヤツクを後退して配置せざるを得ず、したがつて、チヤツクを隅角部の奥深く突入させることはできないというような欠陥があるとの知見に基づき、昭和四六年ころ、ケーシングチユーブの揺動、圧入装置とハンマーグラブの作動装置とを分離してケーシングチユーブの作動部分を独立させ、さらにこの部分に地下に打ち込むアンカーと取外し自在のインゴツトを設けて掘削時における全装置の動揺を防止するようにすることによつて、ケーシングチユーブを挟持するチヤツクを壁際に接近させ、また、二つの壁によつて形成された隅角部の奥に突入させて杭打孔を掘削することができる軽量小型の掘削装置を発明した。
(2) 昭和四七年二月ころ、原告は、高橋(機械メーカーである被告高橋工業の代表取締役)に対し本件発明の内容を説明し、その製品化についての協力方を申し入れたところ、高橋は右申入れに応じた。そして、そのころ、北辰工業と被告高橋工業との間で、(イ)北辰工業は被告高橋工業に対し、本件発明の実施品である掘削装置の製造を依頼し、同被告はこれを引き受ける、(ロ)北辰工業は被告高橋工業以外の者に右掘削装置を発注してはならず、同被告は北辰工業以外の者のため、また、自己の営業のため右掘削装置を製造してはならない、という内容の合意が成立した。しかし、代金の確実な支払を得たいという被告高橋工業の要望により、北辰工業と同被告との直接取引とせず、機械関係を取り扱う商社である訴外東京産業株式会社が同被告よりその製造した掘削装置を買い受け、これを北辰工業に売り渡すという形態をとることとした。
(3) そこで、本件発明に係る掘削装置を製品化すべく、昭和四七年四月ころから、原告と被告高橋工業との間で協議を重ね、同被告において別紙(二)記載のとおりの設計図及び仕様書を作成した。そして、被告高橋工業は同年八月第一号の掘削装置を完成して北辰工業に納入し、北辰工業は右掘削装置を東京都目黒区青葉台所在の某国大使館工事現場に搬入して掘削工事を行つた。
(4) 右工事中、原告は、訴外有限会社建築技術より、同社が発行する雑誌「建築技術」に右掘削装置に関する記事を掲載するための取材を受け、その際、被告高橋工業が作成した前記設計図及び仕様書を右雑誌社に交付した。
右掘削装置に関する記事は本件雑誌(発行日付昭和四七年一〇月一日)に掲載されたが、右記事中には、「掘削機は北辰工業株式会社が開発、高橋工業株式会社が製造し特許申請中である」と記載されている(右記事中に右記載があることは当事者間に争いがない。)。
(5) 原告は、本件雑誌のうち右掘削装置に関する記事を抜刷りした部分を高橋に交付したが、高橋は、被告高橋工業の会社名が右雑誌に掲載されたことにより金融機関に対する信用も高まり、事業経営に好都合であると喜んでいた。そして、高橋は、右雑誌に対する興味もあつて、同年九月二〇日東京都台東区谷中三丁目所在の清秋堂書店で本件雑誌を購入した。
(6) 本件発明は昭和四七年一〇月一四日特許出願され、願書に添付された明細書記載の特許請求の範囲は、「基体の先方にケーシングチユーブを挟持するチヤツクを設け、また該チヤツクに挟持されたケーシングチユーブを揺動、圧入すべき装置を設け、更に掘削時の機体の動揺を防止するため基体の一部から地中に打込むアンカーを設け、また掘削による反力に対応するため基体にインゴツトを取脱し自在に取着けた掘削装置」というものであつたが、昭和五二年九月一日付で拒絶理由通知を受けたため、原告は、同年一一月二一日付で特許請求の範囲を本件発明の要旨記載のとおり補正した。
(7) 被告高橋工業は、昭和五〇年一月ころまでに本件発明の実施品である掘削装置を計五台製造して北辰工業に納入し、また、納入した掘削装置の部品供給、補修作業をも引き受けて(被告高橋工業が納入した掘削装置の部品供給、補修作業を引き受けたことは当事者間に争いがない。)、両者の関係は円満に推移していたが、昭和五一年一一月ころ、被告高橋工業が納入した掘削装置の修理をめぐつて両者の関係は円滑を欠くに至り、北辰工業は同被告に対し、爾後掘削装置の発注はしない旨通告した。そして、北辰工業は、訴外秀和産業株式会社の紹介で鈴木技研に本件発明の実施品である掘削装置を発注し、昭和五二年二月と昭和五三年六月に各一台、計二台を納入させたが、被告高橋工業において自社が納入した掘削装置の修理等については今後遺漏のないよう措置する旨約束したので、昭和五四年二月から再び前記合意と同一の内容で、同被告に対し本件発明の実施品である掘削装置を発注することとし(取引の形態も従前と同じ。)、同被告は、昭和五五年三月までの間に右掘削装置四台を北辰工業に納入した。
(8) これより先、北辰工業と被告高橋工業間の掘削装置の製造、納入取引が中絶していた時期に当たる昭和五三年一月中、被告高橋工業は、北辰工業より金五〇〇万円の融資を受けた。同被告は、その見返りに同額の手形を振り出し、交付するとともに、かねて北辰工業のために準備し、保管していた掘削装置の保安部品や修理部品(約八五〇万円相当)を担保に供したが、その後、右振出手形を決済して融資金を返済し、一方、同年一〇月ころ北辰工業は同被告に代金(七五〇万円に減額)を支払つて右保安部品等を引き取つた。
また、昭和五三年一〇月ころ被告高橋工業は北辰工業より既納入の掘削装置の修理の依頼を受けたが、該修理の準備に伴う資金ぐりの必要上、北辰工業に対し、完成前に中間金の支払を求めたところ、融資という形式で昭和五四年二月金一〇〇〇万円の交付を受けた。その後、右修理は完成し、右融資金については修理代金と相殺した。
(9) 被告高橋工業は、北辰工業との前記合意の対象となつている掘削装置は、本件特許明細書添附の実施例図面に示されるような、インゴツトの配置が特定されたもの(インゴツトをチヤツクの後方に配置したもの)に限られ、インゴツトの配置が右とは異なる掘削装置は本件発明の技術的範囲に属さず、その製造、販売は前記合意に違反しないとの考えのもとに、昭和五四年ころから開発を始め、昭和五五年五月ころ別紙(三)の説明書及び図面記載の掘削装置を製造し、そのころ右掘削装置を前記東京産業株式会社を介して被告茄子川組に販売し、同被告はこれを工事現場で使用するに至つた。
(10) 原告は、被告高橋工業が被告茄子川組に前記掘削装置を販売していることを知り、被告高橋工業に対し右掘削装置を買い戻すよう求めたが、同被告においてこれに応じなかつたため、昭和五五年一〇月一四日、東京地方裁判所に対し、被告高橋工業、同茄子川組及び東京産業株式会社を債務者として、本件特許権の侵害を理由に、「基体のその後方後尾に往復回動に際して強力な側圧を土壌から受けるアンカーを基体の下方に突設した掘削装置」の製造、使用、販売禁止等の仮処分を申請した(同裁判所昭和五五年(ヨ)第二五五九号事件)。その後、原告は、仮処分の目的物を、別紙(三)の説明書及び図面記載の掘削装置に訂正し、また、東京産業株式会社に対する仮処分申請は取り下げた。
右仮処分申請後、被告高橋工業は、右掘削装置は本件発明の技術的範囲に属さない旨主張し、また、本件発明の特許出願日は本件雑誌の発行日より後であることを理由に、原告に対し右仮処分申請の取下げを要求して折衝したが、原告はこれに応じなかつた。そのため、被告らは、右仮処分申請に対抗するため本件無効審判を請求するに至つたものである。
なお、右仮処分申請事件については、昭和五六年四月一〇日、申請却下の決定があり、原告は右決定に対し東京高等裁判所に抗告を申し立てたが(同裁判所昭和五六年(ラ)第三四五号事件)、昭和五七年三月二六日、抗告棄却の決定があつた。
甲第五、第八号証、第九号証の一・二、第一〇号証、第六二号証の五の各記載中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
原告は、雑誌「建築技術」に掘削装置に関する記事を掲載するについては、被告高橋工業に事前に連絡し、同被告は設計図を届けるなどして協力した旨主張し、前掲甲第五、第八、第一〇号証には右主張に副う記載部分があるが、前掲甲第九号証の一・二に照らしてたやすく措信することができず、他に右事実を認めるべき証拠はない。
また、原告は、本件雑誌を被告高橋工業に交付した旨主張し、前掲甲第五、第一〇、第一一号証、第六二号証の五には右主張に副う記載部分があるが、前掲甲第九号証の一・二、乙第五号証に照らしてたやすく措信することができず、他に右事実を認めるべき証拠はない。
他方、被告は、北辰工業は、本件発明の実施品である掘削装置を被告高橋工業以外の者から購入できないという約定であつたにもかかわらず、右約定に違反し、鈴木技研に右掘削装置を発注してこれを購入したから、これにより北辰工業と被告高橋工業間の前記合意は終了し、若しくは黙示的に合意解除された旨主張するが、北辰工業が鈴木技研に本件発明の実施品である掘削装置を発注してこれを購入していた間も、北辰工業と被告高橋工業との間に事業資金融資の関係があり、その後右掘削装置の発注、納入の取引関係が再び継続したという経緯を合わせ考えると、被告の右主張は採用することができない。
(二) 特許無効の審判は、いつたん設定された特許権にこれを無効とすべき瑕疵がある場合に、このことを判断して当該特許権を否定し、「発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与する」という特許法の目的に適合しなくなつた存在を排除することを使命とするものであり、右審判を請求し得るのは特許権を無効とするについて何らかの利害関係を有する者でなければならないことは、およそ国家の設営する審判制度を利用しようとする者に共通して求められる資格要件であると解されるところ、特許権者から特許侵害訴訟を差し向けられたが、当該特許権は無効であると主張する被告ないし仮処分債務者は、特許が無効であると判定されることによつて不当な権利行使から免れる立場にあるから、特許無効の審判を請求し得る利害関係を有する者であるというべきである。ところで、特許無効の審判は、特許権の付与という行政行為に瑕疵がある場合における事後的な救済、是正の手続として行われるものであり、右審判において特許を無効とすべき旨の審決が確定すれば、当事者のみならず第三者をも拘束する効力、いわゆる対世的効力を生ずるのもその故であるが、右審判が特許権者と請求人という特定人間の特許権の効力をめぐる個別的な紛争の解決手段としての実質的側面を有することも否定できず、そのため特許無効の審判を請求し得る利害関係の有無を判断するについて請求人と特許権者との間に存する私法的関係を含む法的関係を顧慮し、例えば、請求人と特許権者との間の契約関係に照らし請求人が特許無効の審判を請求することが信義則に違背するものでないかという点も、前記利害関係の有無の判断に取り込むのを適当とする場合があるということができる。
本件において、前記認定の事実関係によれば、被告高橋工業において別紙(三)の説明書及び図面記載の掘削装置を製造し、被告茄子川組がこれを買い受けて使用したところ、原告は、右掘削装置の製造、使用、販売は本件特許権を侵害するものであるとして、それらの差止めを求める仮処分を申請し、これに対し、被告らは本件特許権にこれを無効とすべき瑕疵があると主張しているのであるから、被告らは本件特許の無効審判請求をするについて利害関係を有し、その意味で無効審判請求の請求人適格を有するものと認めるのが相当である。
(三) この点に関し、原告は、要するに、被告高橋工業は本件発明に係る掘削装置の開発につき原告に協力し、また、北辰工業との合意に基づいて本件発明の実施品である掘削装置を製造するなどして、原告及び北辰工業とは緊密な協力関係にあり、同被告はこれに基づき独占的な利益を得、さらに北辰工業から融資を受けて営業を維持することができたものであり、原告が本件発明につき特許出願をした段階では、その内容を十分に知つていたという原告及び北辰工業と被告高橋工業との関係に加えて、雑誌「建築技術」への記載掲載については、被告高橋工業は原告より事前に連絡を受け、同被告の会社名が右雑誌に掲載されることを歓迎して、設計図を届けるなどの協力をしたのであるから、被告高橋工業がたまたま本件発明の特許出願日が本件雑誌の発行日より遅かつたことを奇貨として、本件雑誌の一部を証拠として本件無効審判請求をなしたことは極めて信義則に違反するものであつて、同被告は請求人適格を有しない旨主張する。
前記認定のとおり、被告高橋工業は本件発明に係る掘削装置の製品化に協力し、北辰工業との合意に基づいて本件発明の実施品である掘削装置を製造して北辰工業に納入し、その部品供給、補修作業をも引き受け、また、北辰工業から融資を受けるなどしたものであつて、納入した掘削装置の修理の件をめぐつて争いが生じ、一時期取引が中断されたことはあつたものの、やがて取引が再び継続され、原告及び北辰工業と被告高橋工業とは緊密な協力関係を回復、維持してきたものであり、また、被告高橋工業は、引用例の記事中に同被告の会社名が掲載されたことを歓迎していた。しかし、その後被告高橋工業が別紙(三)の説明書及び図面記載の掘削装置を製造して被告茄子川組に販売し、これに対して原告が前記仮処分の申請をするに及んで、両者の協力関係は解消されたことは、前記認定事実より明らかである。
ところで、北辰工業は本件無効審判請求事件の被請求人ではなく、したがつて、本件無効審判請求が信義則に違反するか否かについて判断するに当たつては、北辰工業と被告高橋工業間の前記認定の関係は本来考慮に入れる必要のないことであるが、原告が北辰工業の実質上の所有者であることは被告らの自認するところであり、被告高橋工業が北辰工業に対し信義則違背のかどがあつたとすればそれは原告に対するものと評価できないわけではないので、この観点から前記認定事実をみるのに、たとえ原告及び北辰工業と被告高橋工業とが従前前記のような緊密な協力関係にあつたとしても、原告のした仮処分申請を契機として原告と被告高橋工業との協力関係が既に解消されたという事情のもとにおいては、同被告が原告のした仮処分申請に対する防禦方法の一つとして、かつてはそれに自社の会社名が掲載されることを歓迎していた本件雑誌中の引用例部分を証拠として提出し、本件無効審判請求に及んだこと自体は信義則に違反するものであるとは認め難い。
なお、被告高橋工業が製造した別紙(三)の説明書及び図面記載の掘削装置が本件発明の技術的範囲に属するか否か、また、右掘削装置の製造、販売が北辰工業と被告高橋工業との間の前記合意内容に抵触するか否か、逆に、原告のした仮処分申請が原告及び北辰工業と被告高橋工業間の信頼関係を破壊するものとみるべきか否かは、本件無効審判請求が信義則に違反するものであるか否かと直接的な関連を有するものではなく、本件において判断すべき限りではない。
以上のとおりであつて、本件無効審判請求が信義則に違反することを前提として、被告高橋工業は請求人適格がないとする原告の主張は理由がない。
また、原告は、被告茄子川組は被告高橋工業に引き入れられる形で本件無効審判の請求人となつているものであつて、被告高橋工業と同様の立場にあるとみなされるから請求人適格がない旨主張するが、被告茄子川組は、原告や北辰工業との間に被告高橋工業における前記のような関係はなく、したがつて、被告高橋工業と同様の立場にはないものというべく、この点からいつても被告茄子川組のした本件無効審判請求が信義則に違反しないことは明らかであり、同被告に請求人適格がないとする原告の主張もその前提において失当とすべきである。
よつて、原告主張の取消事由(一)は理由がない。
2 取消事由(二)について
(一) 被告らは、原告の取消事由(二)の主張は、本件無効審判手続の段階では審理の対象となつていなかつたものであるから、本訴においては、右のような主張をすること自体許されない旨主張する。
しかしながら、前示審決理由の要点によれば、本件無効審判手続においては、本件発明は特許法第二九条第一項各号の規定に該当するにかかわらず、同条に違反して特許されたものであつて、同法第一二三条第一項第一号により無効である旨の被告らの主張の当否が審理、判断の対象とされていたものであり、原告の取消事由(二)の主張は、その適用法条こそ違え、本件無効審判手続の審理、判断の対象の一つである同法第二九条第一項第三号該当の主張に対する関係において防禦的な意義を有するものにすぎないから、本件特許を無効とした審決の違法性を理由づけるものとして、本訴において主張すること自体は何ら妨げられないものというべく、被告らの前記主張は採用できない。
(二) 原告は、本件発明の特許出願手続を訴外渡辺勲弁理士に委任したのは昭和四七年四、五月ころであり、有限会社建築技術の取材申込みを受けた時点では、右出願手続は完了しているものと確信して右取材に応じたものである旨主張し、前掲甲第八、第一〇号証によれば、原告は、原告北辰工業・被告高橋工業間の東京地方裁判所昭和五六年(ワ)第一一一八一号事件において、原告北辰工業代表者本人として右主張に副う供述をしていることが認められる。しかしながら、右供述を裏付ける的確な証拠はないばかりか、前掲甲第八号証によれば、右事件において、原告は、本件発明の特許出願手続を渡辺弁理士に委任したのは出願日より三ケ月位前(昭和四七年七月頃)であるとも供述していることが認められ、委任の時期につき原告の供述にくい違いがあること、成立に争いのない乙第六号証によれば、原告の渡辺弁理士に対する委任状には、委任日時が昭和四七年一〇月五日と記載されていることが認められること、弁論の全趣旨によれば、特許事務所において特許出願手続の委任を受けてから右手続完了までに五ケ月程度を要するというようなことは通常はあり得ないことが認められるところ、本件発明の特許願書(前掲乙第七号証)添付の明細書記載の内容からいつても、右明細書を作成するについて長期間を要することは認め難いこと、本件雑誌は昭和四七年一〇月一日発行とされているが、前掲乙第五号証によれば、実際には同年九月二〇日には既に発売されていたことが認められることなどを総合すると、原告が渡辺弁理士に本件発明の特許出願手続を委任したのは、本件雑誌が発行された後でなかつたかとの疑念をぬぐい去ることができず、原告の前記各供述には大いに疑問の存するところである。そして、ほかに昭和四七年八月ころ原告が前記取材に応じた時点において本件発明の特許出願手続は完了しているものと確信していた旨の原告の主張を認めるに足る適格な証拠はないから、右主張を前提とする原告主張の取消事由(二)は、その余の点について判断するまでもなく、採用できない。
3 取消事由(三)について
(一) 前記本件発明の要旨及び前掲甲第一号証によれば、本件発明は、(ⅰ)「基体の最先方にケーシングチユーブを挟持するチヤツクを設け、該チヤツクに挟持されたケーシングチユーブを圧入ならびに該チユーブの中心軸を中心として左右に往復回動を与える装置をチヤツク附近に設け」たこと、(ⅱ)「掘削時の全装置の上下振動ならびに横振れを防止するため上記チヤツクの後方にインゴツトを取脱し自在に取着け、基体のその後方後尾に上記往復回動に際して強力な側圧を土壌から受けるアンカーを基体の下方に突設した」ことを構成要件とする「掘削装置」であること、本件特許明細書の発明の詳細な説明には、「掘削装置で従来から行なわれて来たケーシングチユーブをチヤツクで挟持し、該チユーブを圧入または引抜くと同時に該チユーブの中心軸を中心として左右に往復回動を与える工法(以下単に往復回動という)を採用した場合には、往復回動のための回動力がきわめて大きいので装置の後尾に横振れを生じケーシングチユーブの圧入を不可能とするのである。そこでこの発明はケーシングチユーブを最先端とする基体の後尾に、上記往復回動によつて土壌等から強力な側圧を受けるアンカーを突設してこれを地中に打ち込み、基体の横振れをケーシングチユーブからアンカーまでの長い距離をアンカーに対する強い側圧との相乗積に相当する大きな反力によつて防止したのである。また本発明は上記チヤツク附近に、ケーシングチユーブを圧入、引抜する装置を往復回動を与える装置とを集約させて上記チヤツクの近くにインゴツトを取脱し自在に取着けてチヤツクの上下振動の防止にインゴツトの重量を有効に利用し得るようにしたのである。更に本発明は上記アンカーをインゴツトとの併用により充分横振れおよび上下振動を防止できる(後略)」(本件公告公報第一欄第二九行ないし第二欄第一四行)と記載されていることが認められる。
右認定事実によれば、本件発明の前記構成要件(ⅰ)は、本件発明に係る掘削装置が従来から行われて来たケーシングチユーブを揺動回転させながらこれを土壌(地面)に圧入させる工法に用いる場所打ちぐい掘削機(全ケーシング工法用機械)に関するものであることを示すものであり、また、構成要件(ⅱ)は、右掘削装置を採用した場合に、該装置の後尾に横振れが生じケーシングチユーブの圧入を不可能にすることがあるという問題点を解決するとともに、チヤツクの上下振動を防止することをも目的として採用されたものであることは明らかである。
(二) 次に、前掲甲第三号証によれば、引用例記載の記事は、「壁ぎわでも施工できる小型強力の場所打ちぐい掘削機」と題する掘削機の紹介記事であつて、引用例には、「東京・目黒区青葉台の某国大使館新築工事で、いま場所打ちぐい用の新しい掘削機が使用され、(中略)施工に偉力を発揮している。ケーシングチユーブ圧入方式によるこの掘削機は、小型軽便で(中略)能率よく掘削作業ができるように設計されており、(後略)」(第一九四頁左欄第一ないし第一〇行)という前文に続いて、特長の第四として、「4)掘削機構は、掘削機本体でケーシングチユーブを揺動圧入し、傍の三三t巻上げの早巻きクローラクレーン(特製)でハンマーグラブを操作する仕組みである」(第一九四頁中欄第一二ないし第一五行)と記載されていること、引用例記載の図1には、本件発明におけるケーシングチユーブ8に相当するケーシングチユーブの記載はなく、また、中心線、主要寸法の表示、G.L線の表示はあるが、本件特許明細書記載の本件発明の実施例を示す図面第1ないし第3図(別紙(一)参照)に記載されているような符号の記載はないが、本件発明の実施例を示す図面第1ないし第3図とほぼ同様の図面(平面図、正面図、側面図)が示されており(別紙(二)参照)、ただ、本件特許明細書の実施例図面においてパワーユニツト2、インゴツト3、圧入用オイルジヤツキ4、揺動用オイルジヤツキ5、チヤツク用オイルジヤツキ6、チヤツク9として表示されている部分が、それぞれパワーユニツト、ウエイト、スラストシリンダー、ツイストシリンダー、タイトシリンダー、バンドという名称で表示されていること、また、引用例記載の図1において、バンドは基体(右図1には部品名が表示されていないが、前記パワーユニツト、ウエイト、各シリンダーなどを載置した部材であつて、本件発明の実施例における基体1に相当するもの。)の最先方に、スラストシリンダー及びツイストシリンダーはバンド附近にそれぞれ設けられ、ウエイトはバンドの後方に取脱し自在に取り着けられているものが示されていること、なお、引用例記載の図1には、引用例記載の掘削装置の仕様として、別紙(二)のとおり記載されていること、以上の事実が認められる。
右認定事実によれば、引用例の図1記載の掘削機は、ケーシングチユーブを揺動圧入するケーシングチユーブ圧入方式の場所打ちぐい掘削機であつて、本件発明に係る掘削装置と同一機種に属すること(ケーシングチユーブの圧入方式において全く同一の構成を有すること)は明らかであり、したがつて、右掘削機において、基体の最先方に設けられたタイトシリンダーは、ケーシングチユーブをバンドで握持し締め付ける作用を、また、バンド附近に設けられたツイストシリンダー及びスラストシリンダーはケーシングチユーブの揺動及び圧入引抜作用を、さらに、バンドの後方に取脱し自在に取着されたウエイトはその重量によりケーシングチユーブの圧入時に生じる反力に対応させて基体の上下振動、横振れなどを防止する作用をそれぞれなすこと、パワーユニツトは各シリンダーの作動(及びハンマグラブの作動)のための駆動源をなすものであることが認められる。
(三) ところで、前掲甲第三号証によれば、引用例記載の図1には、本件特許明細書記載の実施例図面の第1図、第2図において符号7、7´で示されているアンカーに対応する部材が記載されているが、その部材名の表示はなく、また、引用例には右部材の機能について何ら記載されていないが、引用例の図1(平面図、正面図)に表示されている部材の形状及び基体に対する取付状態は、本件発明の実施例を示す前記第1図、第2図に表示されているアンカーの形状及び基体に対する取付状態と何ら異なるところがなく、また、右部材は、基体上のバンドの後方、ほぼ中央部に置かれたウエイトの下部位置において基体を貫通して基体の下方に突設された断面T字形状の長尺部材(一本)及び基体の後方後尾の両端部において基体を貫通して基体の下方に突設された断面<省略>状の長尺部材(二本)であつて、その突設状態として、いずれも地面線を示すG.L線より下に伸びており、右部材が地面に打ち込まれたものであることを示しており、さらに右部材はそれぞれ各断面形状の長手方向がほぼバンドの方向を向いていることが認められる。
右基体から下方に突設された部材は、右認定の形状並びにその取付位置、方向を考慮すると、引用例にその部材名及び機能について記載がなくとも、本件発明におけるアンカーと同様にウエイトとの併合作用により、ケーシングチユーブの揺動に際して土壌から受ける強力な側圧に対抗して基体の横振れを防止するという作用効果を奏するものであることは明らかである。
(四) 以上のとおりであつて、引用例の図1に記載されている掘削機(各シリンダー、バンド、ウエイト、パワーユニツト及び基体から成る掘削部分を持つ掘削装置)は、基体から下方に突設した部材を備えている点をひとまず除くと、本件発明における「基体の最先方にケーシングチユーブを挟持するチヤツクを設け、該チヤツクに挟持されたケーシングチユーブを圧入ならびに該チユーブの中心軸を中心として左右に往復回動を与える装置をチヤツク附近に設け」た掘削装置と同じ構成であり、その作用効果も同じであると認められる。そして、引用例の図1記載の掘削機においては、掘削時の掘削機全体の上下振動及び横振れを防止するためにバンドの後方にウエイトを取脱し自在に取着け、また、基体のその後方後尾にケーシングチユーブの揺動に際して強力な側圧を土壌から受ける部材を基体の下方に突設した構成を有し、右構成は、本件発明に係る掘削装置における、「掘削機の全装置の上下振動ならびに横振れを防止するためチヤツクの後方にインゴツトを取脱し自在に取着け、基体のその後方後尾に往復回動に際して強力な側圧を土壌から受けるアンカーを基体の下方に突設した」構成に相当するものであり、したがつて、引用例記載の掘削機の右構成は、本件発明の右構成による作用効果と同じ作用効果を奏するものということができる。
右のとおり、引用例に記載されている掘削機の構成及び作用効果は、本件発明におけるそれと同一であるから、本件発明は引用例に記載された発明であるとした審決の認定に誤りはない。
原告は、引用例には本件発明の技術的思想は開示されていないとして縷々主張するが採用することができず、原告主張の取消事由(三)も理由がない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとする。
〔編註その一〕 本件における請求原因は左のとおりである。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、名称を「掘削装置」とする特許第九九六六五五号発明(昭和四七年一〇月一四日特許出願、昭和五四年一〇月一八日出願公告、昭和五五年五月二〇日設定登録。以下「本件発明」という。)の特許権者であるが、被告らは、昭和五五年一一月一三日本件特許の無効審判を請求し、昭和五五年審判第二〇四四七号事件として審理された結果、昭和五七年九月三〇日「特許第九九六六五五号発明の特許は、無効とする。」旨の審決があり、その謄本は同年一一月二九日原告に送達された。
二 本件発明の要旨
基体の最先方にケーシングチユーブを挟持するチヤツクを設け、該チヤツクに挟持されたケーシングチユーブを圧入ならびに該チユーブの中心軸を中心として左右に往復回動を与える装置をチヤツク附近に設け、更に掘削時の全装置の上下振動ならびに横振れを防止するため上記チヤツクの後方にインゴツトを取脱し自在に取着け、基体のその後方後尾に上記往復回動に際して強力な側圧を土壌から受けるアンカーを基体の下方に突設した掘削装置。
(別紙(一)参照)
三 審決の理由の要点
本件発明の要旨は前項記載のとおりである。
これに対して請求人(被告ら)は、本件発明は、その特許出願前に、日本国内において公然と知られ、公然と実施され、かつ日本国内において頒布された刊行物に記載された発明であつて、特許法第二九条第一項全号に該当し、同法第一二三条第一項第一号によりその特許を無効とすべきものであると主張し、これを立証するために、甲第一号証(審判手続における書証番号)として、昭和四七年一〇月一日、有限会社建築技術発行、雑誌「建築技術」一九七二年一〇月号抜萃(第一九四頁ないし第一九六頁、以下「引用例」という。)写本を提出した。
そこで、引用例の記載を検討すると、引用例には、「壁ぎわでも施工できる小型強力の場所打ちぐい掘削機」という標題のもとに、東京目黒区青葉台の某国大使館新築工事で、場所打ちコンクリートぐい用の新しい掘削機が使用されており、隣接建物の壁ぎわやコーナー部分での施工に偉力を発揮している、として三頁に亘つて、数葉の現場写真及び装置、施工要領等の図面と共に、その掘削機の特長、掘削要領、掘削所要時間及び経済性等について説明されており、なかでも、その第1図において、新しい掘削機の仕様として図示された、平面図、正面図及び側面図は、本件発明の説明図面と細部に至るまで明らかに同一のものと認められる。(なお、引用例の第一九六頁最後尾に、「掘削機は北辰工業株式会社((注‥本件審判事件答弁書によれば、その社長は本件特許出願人北中克巳である))が開発、高橋工業株式会社が製造し、特許申請中である、と記載されているにもかかわらず、本件発明は、引用例の発行日以後に出願されたものであるが、本件発明がその出願前引用例によつて公知となつたことについて、特許法第三〇条第二項の規定の適用を申請している訳でもない。)
なお、被請求人(原告)は、引用例の記載内容について、本件発明のそれぞれの構成は文章では説明されていない、なかでも、アンカーについては図面中にも記載されていない、などと主張しているが、引用例に掲載されている第1図には、本件発明における、チヤツクを締付けるシリンダには「タイトシリンダー」と、該チヤツクに挟持されたケーシングチユーブを圧入する装置並びに該チユーブにその中心軸を中心として左右に往復回動を与える装置に相当するシリンダーには、それぞれ「スラストシリンダー」「ツイストシリンダー」と、そしてインゴツトに相当する部分には「ウエイト」と記載されていることから、特にこれらが文章で説明されていなくても、これらの目的作用は当業者にとつて自明のことであり、また、アンカーについては、第1図において、掘削機基体の中央部と後部の下方に地面を示すG.L線以下に伸びて図示されたものがアンカーであることは、その名称が記載されるまでもなく、掘削機の目的作用からみて当業者ならば一目瞭然のことと認める。
したがつて、本件発明は、その出願前に日本国内において発行された引用例に記載された発明であると認められるから、特許法第二九条第一項第三号の規定に違反して特許されたものであり、同法第一二三条第一項第一号の規定に該当し、その特許は無効とされるべきである。
四 審決の取消事由
1 取消事由(一)
被告らは、本件無効審判請求について請求人適格を有しないから、右請求は不適法であり、したがつて、この点を看過してなされた審決は違法である。
(一)(1) 原告はかねてから本件発明に係るアンカーを付けた掘削装置に関する構想を有し、昭和四七年二月ころ、被告高橋工業株式会社(以下「被告高橋工業」という。)に対し、本件発明に係る掘削装置の開発について協力を依頼した。そして、設計図の完成までには、原告において基本設計の指示をし、被告高橋工業が持参してくる設計案についてその都度指示を与えて、そのとおり訂正させるという作業を繰り返し、設計図を完成させるという経過で、同被告の協力を得た。これとともに、昭和四七年二月ころ、原告が代表者となつている訴外北辰工業株式会社(以下「北辰工業」という。)と被告高橋工業との間に、(イ)北辰工業は被告高橋工業に対し、本件発明の実施品である掘削装置の製造を依頼し、同被告はこれを引き受ける、(ロ)被告高橋工業は、北辰工業の発注により右掘削装置を製造するが、右掘削装置を北辰工業以外の者のため、また、自己の営業のために製造することはしない、という内容の合意が成立した。
以後、被告高橋工業は、北辰工業との間の右合意に基づき本件発明の実施品である掘削装置を製造して、北辰工業に納入し、また、納入した掘削装置の部品供給、補修作業をも引き受けて、北辰工業が施工する基礎工事に協力するなど、両者は緊密な協力関係に立ち、同被告はこれに基づき独占的な利益を挙げていたものである。そして、北辰工業は後述の事情により右掘削装置の製造を訴外鈴木技研工業株式会社(以下「鈴木技研」という。)に発注していた期間中にも、被告高橋工業の懇望に応えて、同被告に対し、昭和五三年一月に金五〇〇万円、昭和五四年二月に金一〇〇〇万円をそれぞれ融資したことがある。したがつて、同被告は、北辰工業の援助により営業していたといつても過言ではない。
右のとおり、被告高橋工業は、原告が昭和四七年一〇月一四日本件発明につき特許出願した段階においては既に、原告及び北辰工業と緊密な協力関係にあり、本件発明に係る掘削装置についてはすべてのことを知つていたものであり、その後もその実施品の製造等を担当していたのである。
(2) ところで、引用例とされた雑誌「建築技術」一九七二年一〇月号(以下「本件雑誌」という。)中の記事は、訴外有限会社建築技術の取材に応じ原告が提供した資料に基づくものである。右記事中には、「掘削機は北辰工業株式会社が開発、高橋工業株式会社が製造し特許申請中である」と記載されているが、原告がその開発した掘削装置に関して取材に応じるについては、事前に被告高橋工業に対し、本件雑誌の記事中に同被告が製造者であることが掲載される旨伝え、右記事に必要な設計図を届けるよう求めたところ、同被告は、会社名が右雑誌に掲載されることによつて金融機関に対する信用も高まり、事業経営に好都合であるとして大いに喜び、設計図を原告に届けたのである。
原告は、本件雑誌を取り寄せて同被告に交付した。
なお、被告らは、雑誌「建築技術」への記事の掲載について、被告高橋工業は原告から事前に連絡を受けていない旨主張するが、事実に反する。右記事には前記のとおり被告高橋工業の会社名が製造者として記載されており、原告が同被告に断りなく同被告の会社名を右記事に掲載するよう手配することは社会通念上あり得ないし、引用例に記載された図面の仕様書には、掘削装置の製造者である同被告でなければ知らない数字が記入されていることからしても、原告が同被告に前記連絡をしていることは明らかである。
(3) 原告及び北辰工業と被告高橋工業とが前記(1)のような関係にあつたこと、及び本件雑誌への記事掲載は被告高橋工業の協力によつてなされたものであることなどからすると、被告高橋工業がたまたま本件発明の特許出願日が本件雑誌の発行日より遅かつたことを知り、これを奇貨とし、本件雑誌の一部を証拠として本件無効審判請求をなしたことは極めて信義則に違反するものであり、同被告は、特許法が保護しようとする無効審判の請求権者には該当せず、請求人適格を欠くものというべきである。
また、被告株式会社茄子川組(以下「被告茄子川組」という。)は、被告高橋工業から本件特許権に抵触する掘削機を買い入れて使用しているものであり、被告高橋工業に引き入れられる形で本件無効審判請求の請求人となつているものである。したがつて、被告高橋工業と同様の立場にあるとみなされ、本件無効審判請求につき請求人適格を有しない。
(二) 被告らは、北辰工業が鈴木技研に対し掘削装置の製造を発注して購入したことにより、北辰工業と被告高橋工業との間の前記合意は終了し、若しくは黙示的に合意解除された旨主張するが、次に述べるとおり右主張は理由がない。
前記合意に基づき、北辰工業は被告高橋工業に対し掘削装置合計五台を発注し、その納入を受けたが、昭和五二年二月ころ北辰工業が使用中の掘削装置について故障が発生した際、同被告に早急に修理するよう依頼したところ、同被告においてこれに応じないという事態が度々発生した。北辰工業はその対策に苦慮していた際、たまたま鈴木技研を紹介されたこともあつて、被告高橋工業を納得させた上、鈴木技研に掘削機二台を製造させた。しかし、その後、被告高橋工業の代表者高橋保昌(以下「高橋」という。)が北辰工業に対し、不手際があつたことを詫びるとともに、今後は遺漏がないよう措置することを確約したので、北辰工業は、それ以来鈴木技研への発注は打ち切り、昭和五四年二月から、再び、前記合意に基づき被告高橋工業に掘削装置合計四台を製造させたのである。
また、被告らは、前記合意の対象となつていた掘削装置は、本件発明の実施例として本件特許明細書添附の図面に示されているような、インゴツトの配置を特定したものであり、これに対し、被告高橋工業が開発し、被告茄子川組に販売した掘削機は前記合意の対象となつていたものとは実質的に異なり、本件発明の技術的範囲にも属さないものである旨主張する。
しかしながら、本件発明の最大の特徴はアンカーを設置した点にあり、インゴツトの配置の態様に格別に特徴があるわけではない。インゴツトの配置の態様は必要に応じて変更することが可能なものである。現に、被告茄子川組は、被告高橋工業より購入した掘削機のインゴツトの配置を、本件発明の実施例と同じようなものにして使用している事実がある。したがつて、右掘削機のインゴツトの配置に関する基本設計が本件発明の実施例図面に示されたものと異なるという理由だけで、本件発明の技術的範囲に属さないということにはならないのである。
さらに、被告らは、原告が仮処分申請をしたことをもつて、北辰工業と被告高橋工業間の前記合意に基づく信頼関係を破壊するものであると主張するが失当である。けだし、原告は、北辰工業と被告高橋工業間に前記合意が成立していたにもかかわらず、同被告が本件発明の技術的範囲に属する掘削機を製造し、被告茄子川組はこれを買い受けて、業として使用しているという状況が発生したため、その製造、販売、使用禁止を求めるため仮処分申請に及んだのであり、これをもつて右合意による信頼関係を破壊するものということはできない。むしろ、右合意による信頼関係を破壊したのは被告らである。
2 取消事由(二)
本件発明が引用例に記載された発明であるとしても、本件発明は引用例記載の記事の形で、特許を受ける権利を有する原告の意に反して公表されたものであり、かつ、原告は、右公表の日から六月以内に本件発明について特許出願をしているのであるから、特許法第三〇条第二項の規定により、本件発明は同法第二九条第一項第三号の規定に該当するに至らなかつたものとみなされるべきである。しかるに、審決はこの点を看過し、本件発明は、同法第二九条第一項第三号の規定に該当し、同条に違反して特許されたものであると誤つて判断したものであつて違法である。
(一) 原告は、被告高橋工業に特許出願用の簡単な図面を書かせた上、昭和四七年四、五月ころ訴外渡辺勲弁理士に本件発明の特許出願手続を委任した。そして、特許事務所の通常の事務処理の仕方からいえば、遅くとも同年六月末から七月までには特許出願手続を完了するはずであつたので、原告は、被告高橋工業の手で第一号機が完成する同年八月までには当然特許出願手続も完了するものと予定していた。ところが、渡辺弁理士の事務処理が遅れていたので、再三にわたり督促をしたところ、同弁理士は、同年七月中には特許出願手続を完了することを確約した。なお、原告は、同弁理士に第一号機の稼働開始は同年八月に予定されていることも説明しておいた。
被告高橋工業が製造した掘削装置は、同年八月注文主の北辰工業に納入され、直ちに基礎工事現場に搬入されて稼動を始めたが、そのころ、原告は、有限会社建築技術より右掘削装置に関する取材の申込みを受けた。
原告は、特許出願前に本件発明を公表する意思はもとより有していなかつたが、右取材申込みを受けた時点では、既に特許出願手続は完了しているものと確信して右取材に応じたのである。ところが、渡辺弁理士の事務処理は大幅に遅れ、特許出願は昭和四七年一〇月一四日になつてしまつたのであるが、原告としては、出願手続がこれほど大幅に遅れるとは予想外のことであつた。
(二) ところで、特許法第三〇条第二項における「意に反して」とは、発明が公然知られ、若しくは実施され、又は刊行物に記載されたことが、善意であると悪意であるとを問わず、特許を受ける権利を有する者の自発的な意思に基づかないでなされたことをいうのであるが、特許を受ける権利を有する者がその意に反するような事情の下で自ら発明を公知にした場合もまた右条項の適用があるものと解すべきである。例えば、特許を受ける権利を有する者が当該発明について既に代理人によつて特許出願手続がなされたものと信じてこれを公表したところ、代理人がいまだ右手続をしていなかつたというような場合は、特許を受ける権利を有する者が右事実を知つていたならば公表はしなかつたであろうから、このような場合も「意に反して」公表されたものというべきである。そして、「意に反して」とは、特許を受ける権利を有する者の意思状態に基づいていわれることであるから、故意又は過失があつたか否かは関係のないことである。
本件において、原告は、既に渡辺弁理士によつて特許出願手続が完了しているものと確信して雑誌社の取材に応じたものであり、もし右手続が完了していないことを知つていたならば右取材に応じて本件発明を公表しなかつたであろうから、本件発明は、特許を受ける権利を有する原告の「意に反して」公表されたものというべきである。
また、引用例の記事には、「掘削機は北辰工業株式会社が開発、高橋工業株式会社が製造し特許申請中である」と記載されており、本件の場合に特許法第三〇条第二項の規定を適用して新規性の喪失の例外を認めて本件特許を有効としても第三者が害されるおそれもない。
特許法第三〇条第一項、第三項に該当する場合には、特許庁長官にその旨を記載した書面を提出するだけで新規性の喪失の例外規定が適用されるのであるから、このこととの均衡上、同法第三〇条第二項における「意に反して」の意味についても、発明者の保護を重視して、以上のように広く解釈すべきである。さらに、本件無効審判請求人である被告高橋工業は、いわゆる第三者ではなく、本件発明の完成に協力したものであるから、この点からいつても、「意に反して」を広く解釈してしかるべきである。けだし、法律の解釈は具体的事件の解決のためになされるものであるから、右のような立場にある被告高橋工業の請求に基づく本件においては、本件発明が原告の意に反して特許法第二九条第一項第三号に該当するに至つたものと解釈することこそが条理にかなつたものである。
3 取消事由(三)
引用例には本件発明の技術的思想が開示されておらず、したがつて本件発明は引用例記載の技術的事項と同一ではないから、審決が、本件発明は引用例記載の発明であると認定し、特許法第二九条第一項第三号の規定に違反して特許されたものと判断したことは誤りである。
本件発明の要旨は、本件特許明細書の特許請求の範囲に記載されているとおりであるが、その構成要件については、引用例に文章では全く説明されていない。そして、引用例に掲載されている図面中には、本件発明において最も重要なアンカーについて名称も記載されていないのである。また、本件特許明細書の発明の詳細な説明の項には、(イ)「掘削装置で従来から行なわれて来たケーシングチヤツクで挟持し、該チユーブを圧入または引抜くと同時に該チユーブの中心軸を中心として左右に往復回動を与える工法(以下単に往復回動という)を採用した場合には、往復回動のための回動力がきわめて大きいので装置の後尾に横振れを生じケーシングチユーブの圧入を不可能とするのである。そこでこの発明はケーシングチユーブを最先端とする基体の後尾に、上記往復回動によつて土壌等から強力な側圧を受けるアンカーを突設してこれを地中に打ち込み、基体の横振れをケーシングチユーブからアンカーまでの長い距離とアンカーに対する強い側圧との相乗積に相当する大きな反力によつて防止したのである。」(本件発明の特許出願公告公報第一欄第二九行ないし第二欄第六行)、(ロ)「本発明は上記のチヤツク附近に、ケーシングチユーブを圧入、引抜する装置と往復回動を与える装置とを集約させて上記チヤツクの近くにインゴツトを取脱し自在に取着けてチヤツクの上下振動の防止のインゴツトの重量を有効に利用し得るようにしたのである。」(同第二欄第七行ないし第一二行)、(ハ)「更に本発明は上記アンカーとインゴツトとの併用により充分横振れおよび上下振動を防止できるので、インゴツトの使用数を減少し得るのである。」(同第二欄第一三行ないし第一五行)、(ニ)「また本発明は上記アンカーとインゴツトとの併用とその適切な配置により全装置を軽量小型化することができ、従つて壁際に接近し、また二つの壁によつて形成された隅角部の奥に突入して杭打孔を掘削することを可能としたのである。」(同第二欄第一六行ないし第二〇行)と記載されているところ、右(イ)の点は本件発明の最も重要な目的を示すと同時に、その対策であるアンカーの設置が本件発明における最も重要な構成要件であることを説明しているものであるが、引用例には右(イ)に相当する記載は全く存しない。もつとも、図面中には本件特許明細書添付図面と共通の構造を有するアンカーらしいものが図示されているが、そこに指示線があるわけではないし、どういう役目をするものであるかについてこれを示唆するところは何一つ存在しない。そして、引用例には、右(ロ)及び(ハ)の点についても記載されておらず、ただ、本件発明の作用効果の一部である(ニ)の「全装置を軽量小型化することができ、従つて壁際に接近し、また二つの壁によつて形成された隅角部の奥に突入して杭打孔を掘削することを可能とした」ことのみが記載されているにすぎない。すなわち、引用例には、本件発明の目的及び構成の記載は全くなく、作用効果の一部が記載されているにすぎない。特に、図面については、原告の指示により被告高橋工業が作成したものであるが、アンカーを指示するための記載は意図的に一切省略されているのである。
特許法第二条には、「この法律で『発明』とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と、同法第三六条第四項(昭和六〇年五月二八日法律第四一号による改正前のもの)には、「第二項第三号の発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載しなければならない。」とそれぞれ規定されている。これらの規定からすると、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものである発明は、目的、構成及び効果の記載がなければ、当該発明の属する技術分野における通常の知識を有する者でも容易にその実施をすることができないといえるのである。
しかるに、本件において、前記のとおり、引用例には本件発明の目的及び構成は記載されておらず、作用効果の一部が記載されているにすぎないのであるから、本件発明が記載されているとは到底いえない。
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙(一)
<省略>
別紙(二)
<省略>
別紙(三)
説明書
別紙図面記載の掘削装置であつて、基体の最先方にケーシングチユーブを挟持するチヤツクを設け、ケーシングチユーブを圧入し、かつ該チユーブの中心軸を中心として左右に往復回動を与える装置をチヤツク附近に設け、掘削時の全装置の上下振動ならびに横振れを防止するため前記チヤツクの両側にインゴツトを取外し自在に取付け基体の後方後尾に前記往復回動に際して強力な側圧を土壌から受けるアンカーを基体の下方に突設した掘削装置。